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              機関紙 「からばす」18号から

巻頭言(北斗七星の示す道)    現地活動報告  (1)  (2)  (3)  (4)     ジャワラのバマコ通信
 マリ現地 活動報告(その3)    (平成19年4月〜平成19年10月)

  ●バブグ小学校が完成しました。

1994年頃には、バブグ村の人たちは学校教育に関心が非常に薄く、隣村のファニ村の小学校へ通学している生徒は、男児7人と女児1人だけでしたが、2002年にバブグ小学校が開校し当初はカラの建設した環境学習センターの2教室を間借りして、足りない教室は外に作物の茎で囲った教室を作り61人が学んでいました。

その後2006年には129人の生徒が学習するようになりました。
昨年カラへ新小学校の建設依頼があり、2007年3月からバブグ村小学校舎の建設が開始し6月末に完成しました。現在は教師は4人います。

小学校が建設された場所は、「カラ・カップ」と称してカラ主催でサッカー大会をしていた村長のケファジャラのミレット耕作地です。村長は84歳になり農業はしていませんし、子供もいないので学校の建設にこの土地を寄付してくださいました。村長は食欲もありとても健康ですが、視力が弱くなっています。あいかわらず好物のトウジンヒエで作ったお酒を飲んでいます。

このバブグ小学校は、建設された途端にセリブグ小学校とシラブレ小学校を含めて3小学校の中学校進学の試験場に決まりました。毎年ここでドゥンバ中学への進学試験が行われます。
 現在の在校生129人のうち、6年生42人から32人が中学を受験して29人が合格し93.47%の合格率でした、進級率は69%になります。セリブグ小学校から10人受験、シラブレ小学校からは4人受験して全員合格しました。この2ケ村も共にカラが支援を行っている地域の村です。この2校はバブグ小学校のような公立小学校とは違い、CED(いわゆるcentre pour l'education et le developpementという村立小学校です)で、教育条件が良いとは言えなく、教師も短期間の研修を受けた代用教員のカテゴリーですが、同じ条件の試験を受けて合格したのです。見事な成績と思います。
1994年にはバブグ村から中学校へはたった一人の通学でしたが、学校開設後6年間のうちにこのように就学する児童が増え、セリブグ村やシラブレ村には学校がなく、夜間の識字教室だけで、識字教室では大人は勉強していましたが子供の姿は全く見かけませんでした。

この2校が設立されたのは2004年で、それ以後このように発展してきました。現地で常に目にしている村がこのような変化を遂げてきているのは、私たちにとって何よりも嬉しく、とても感激しています。バブグ小学校へは、今年10月に新一年生60人が入学すると言うことです。

建設されたバブグ小学校

 今年度の学校建設事業には、マディナ小学校の修復と同中学校の4教室の増築も行われました。これらも既に完成しました。マディナ村にはカラが10年前に中学校を建設しました。それ以後生徒数が非常に多くなり増室が必要になったのです。この頃は、町の人も村の親戚を頼って村の学校へ就学や進学させるケースが多くなりました。この状況も過去には見られなかったことです。

 このようになって来た一番の理由は、発展途上国とは言え、都会には便利な、近代的なもの、誘惑されるような状況が多く、子供は親の手伝いもしないし、言うことを聞かなく勉強もしないで学校へ行く振りをして遊びまわっている、事実不良が増えて更に性病やエイズが増えているので親は非常に心配して、都会よりも不便な田舎の学校へ預けるのだそうです。また、毎月両親が支払う授業料が一人250cfaと教育庁では決めていますが、村では生徒数の増加に伴いこの負担額が軽減される傾向があります。都会では親が250cfaを支払っても子供が学校へ行かないので、村へ子供を預けて確実に勉強させるようにしています。

 バブグ村でも、親は今年の6月までは就学児童一人につき、毎月250cfaを支払っていましたが、今年の10月からは生徒数が増えた為に50cfaになるそうです。こうなると親の負担も軽くなり更に生徒数が増える可能性が高くなります。この子供を田舎に預ける傾向が強くなったのは、校長も証言していました。それは1教室に隙間もないくらいに机が並べられていたので、不思議に思い校長に尋ねたのです。そして、このように生徒数が
地元だけでなく都会からも来るようになったことを知りました。事実、コニナ村のスマイラの家にはカラの会報でマリ便りを書いているジャワラの親戚の子供や、スマイラの甥が下宿して、7km離れたトゥグニの中学校へ徒歩通学しています。この中学校の校長の家にも都会からの預かり生徒が数人いて、毎朝、自分の衣類の洗濯、体洗い用水や掃除用に水を汲んで来るのを義務づけているそうです。そして授業が終ると農作業の手伝いです。
電気も、甘いお菓子も、TVもTVゲームもありません、校長は厳しく指導していますので卒業する頃には、非常に変わって来るということでした。

 スタッフのアワも、雨季には雨で往復7kmの通学は厳しいので、教育も兼ねて姪を預けていたことがありました。このようにまだ一部ですが子どもを不便な状況において修行させる親が多くなっています。今マリでは、色々な意味を含めて教育に熱心になって来たと言えます。この現象が私たちの目に見えてきたのは、マリ政府が地方分権制度を採用した後からのような気がします。日本の家庭でも、マリのこのような状況を見習うべきと思いますが、日本には不便な場所が無くなったことや、親の経験した苦労を子供にはさせたくないという感情が先立ち、その結果が良くない問題を引き起こしていると、反省させられました。又、人生に於ける優先順位を日本でははき違えて考えられているようにも思いました。

 バブグ村はドゥンバコミュンに含まれ、そこへ2人の青年、ヌフンジャラとバカリジャラが役員として活躍しています。バカリジャラは、村でも老齢な村長(先述のケーファジャラ)に代わり、村のすべてを取り仕切り、強い力で村民を引っ張って行っています。彼の考えに村の人たちは賛成です。カラのスタッフのスマイラは、「以前のバブグ村とは全然違う、金を出さないと働かなかった人たちだったが、今は協力的でとても話を進めやすくなった」と言います。時代が変わり、この2人を含めてカラの以前のアシスタント・スタッフが今は村の中心にいて、村の開発に向かって努力しています。ヤット青年たちの考えが通るようになって来ました。

私が9月、新築されたバブグ小学校に行った時に、村の女性代表のガンガンは「本当に学校が近くに出来てよかった。子供を遠くまで通学させなくていいし、何より授業料が安くなり、多くの子供が学校に行けるようになってみんな字が読めるようになる。本当にカラに感謝している」と言うことでした。1994年唯一小学校へ通っていた女児は、今は母親になっている彼女の娘のファツマタです。その頃の苦労を思い出しての母親の言葉だったのでしょう。また、校長は「バブグ小学校は村長の寄付で3haの土地を持ち、学校の所有地として国から認められた」と書類も見せてくれました。

バブグ小学校の先生と生徒たち 

 今回のこの会報での学校についてのお知らせがとても長くなりましたが、このようにマリの片田舎で教育について素晴らしいい変化がみられるようになったことを、皆さまにお知りいただきたいと思います。

この小学校の情報とは別に、村の人たちの学習の場である識字教室も完成しましたが、今年のマリの大雨のために、道が悪くてまだ机は運ばれていません。私も奥地の村へ識字教室を視察に行くことはできませんでした。

前号で申し上げましたように、今年度の6識字教室は会員の方々、宮城学院の120周年記念事業やWFF(ワールドファミリーファンド)、その他多くの方のご支援で完成しました。カラが毎年継続している識字学習普及事業への貢献が、マリのラジオで放送されたそうです。今年の識字の日にはユネスコ代表がいらして、マリで国際会議が開かれました。また、9月には日本から識字学習の視察に来られた会員の方に、モバ教室の女性の識字学習状況をお目にかけました。この季節は農作業(ミレット畑の除草)に主婦も子供も駆り出されますのでとても多忙ですが、12人の女性が快く応じてくれました。

 モバ村識字学習が2002年に始まった時には、文字や数字の形も知らなかった女性が、「夫の名前を書いて見せて」と言う私に、恥ずかしそうに書いていました。また、子供の名前も書けるようになっていました。

どこの村の識字教室でも男性より女性の生徒数が多く、子供を育てながら、そして炊事をしながら、時として女性適正技術教室へも通っています。

モバ村の女性が学習する様子
 このようにして少しずつ、確実に学んでいる女性の努力に頭が下がる思いでした。
 字を覚えた女性に感想を聞きましたら、「診療所で薬を貰っても子供にシロップを一日何回飲ませるのかチャント分かるようになって、前より間違わなくなった」「市場に買い物や販売に行った時に、計算が出来るのでお釣りを貰う時に商人とのイザコザがなくなった。」と言っていました。 

 当日指導している教師は2人の主婦で、まだたどたどしいのですが、カラの研修を受けて先生になった女性たちです。