カラ=西アフリカ農村自立協力会の会報 「からばす」13号から
宮城学院中学校高等学校
校長 鈴谷 輝秋

聖書に、
「何事にも時がある。天の下の出来事にすべて定められた時がある」とある。

 「隣の家が火事になったら、助けようとしませんか?」高校2年の教科書に載った村上一枝さんの言葉である。アフリカのマリ共和国へ自立支援のために働くその姿が紹介されていた。文化祭を間近に控え、バザーを担当する高2のクラス代表は、どんなものを持ち寄り、販売した収益金をどこに献金するかを話し合っていた。
“あの教科書に載っていたCARAに送ったらどうだろう”
“そう、それっていいね”
“それならあの方をこの学校にお招きして、話をしてもらってはどうだろう”
“でも本当に来てくれるだろうか。お金もかかるんじゃない?”
“でも連絡取ってみよう”

 かくしてこの生徒らの願い――村上一枝さんの訪問―― は実現された。教科書が単なる知識の伝授に終わらず、真の教科書になったのである。

 どんな生徒たちも、この社会のために良いことをしたいと思っている。率直に手伝いたいと思っている。でもどうやっていいかが分からないのである。“今忙しいから後にしてね”“まだ子どもなんだから”と言って、大人は子どもの健気な思いをシャットアウトしがちである。本校生の依頼に対して村上さんはグリーティングカードを送って、簡単に断ることも出来た。しかし村上さんは自ら“参りましょう”“すぐに”と応えてご自身が来られた。

 「愛は、自分自身を与えることのみに育つ」(ジョン・M・ドレッシャー)
 聖書に
 「何事にも時がある。天の下の出来事にすべて定められた時がある。
  生まれる時、死ぬ時、
  植える時、植えたものを抜く時、
  ・・・・・・・・・
  愛する時、憎む時・・・・・・・・」
(コヘレトの言葉3)


 子どもをよりよく導きたいと願う時、我々大人は子どもの実直さに、素早く手を差し伸べるゆとりを持ちたいものである。子どもらにこちら側に向いてもらいたいと願うなら、その最も良いタイミング(時)を逃してはならない。.

砂漠のフェスティバルを訪ねて

FAN3-ファンサバ-代表 土屋 萬佐子 http://www.fan3.org

  今年1月7日から3日間、マリ北東部の砂漠の中で今年5回目になる“砂漠のフェスティバル”が開催された。(http://www.festival-au-desert.org/)このフェスは世界遺産でも有名なトゥンブクトゥという街からさらに北へ、四駆で2時間ひた走った砂漠の中で行われている。もともとこの地域のトゥアレグ人によって行われていた伝統的な祭礼を引き継いだもので、共同体間の情報、意見交換の場としても活用され、伝統的な歌とダンス、詩、ラクダの行進、ゲームなど現在のプログラムに生かされている。
今では欧米各国からの助成も受け、伝統的な文化を守りつつも、欧米の観光客がツアーを組んで訪れるほどに様変わりしたようだ。

 “砂漠”という言葉にはとても魅惑的な響きがあるのだろうか。風が吹く度に変わる地面の模様。砂の色が空と混じり合うような早朝と夕刻。有名&新人&地元ミュージシャン達による素晴らしい音楽で満天の星の下で堪能し、ラクダに囲まれて伝統音楽を楽しむ。2泊3日の期間中退屈する暇もない。しかし、そこへの道のりと滞在中の環境は、“楽しむ”為の覚悟が必要だ。「砂」と共存し「砂をも食べる」程の気合いがなければ砂漠では過ごせない。道中の悪路もさることながら、絶え間ない風とともにどこにでも入り込んでくる細かい砂は寝ても起きても悩みの種。食事中に「じゃりっ!」と口の中で感じたとしてもそこで提供される食べものはそれしかない。それも砂漠の楽しみ、と受け入れる。でなければずっとビスケットをかじって過ごす他ない。

もう一つの覚悟。それはトイレ。四駆で走り続けると石造りの立派なゲートが突如現れる。塀も柵もみあたらないが、そこから会場。中でまず目に入るものはコンクリート造りの水洗洋式トイレ、シャワールーム。屋根の上に置かれた巨大なドラム缶のタンクへ井戸から水をくみ上げ、そこから給水される。しかし、自慢の水洗トイレはフェスティバル1日目にしてつまり、惨憺たる姿になる。私たちは、そのトイレは使用せず現地式で用を足す。ペットボトルに詰めた水をかかえ、砂山を3つほど越える。周りの人に注意を払いながら、用を足す。もちろんその後は紙を使わず水を使う。そして砂をかぶせて終了。なぜ砂漠の真ん中に水洗トイレが必要なのだろう?移動式で穴を掘り、一杯になったら埋めて別の場所に穴を掘る、そんな方式ではフェスティバルに観客は来てくれないのだろうか?観客の入場料がこのフェスティバルを支え、地域の教育や保健分野をサポートしている現実はあるにせよ、そんなに「外の人」に合わせる必要があるのだろうか?砂漠の中で開催される欧米式のフェス自体、環境破壊だと思うのだが、せめて、それを楽しみに行く人は現地のやりかたで数日過ごす、というくらいの覚悟ができないものだろうか?

アビブ・コワテと数組のミュージシャンがリレー式に演奏する「アフリカンブルース」のステージはこのフェスティバルのフィナーレを飾り、砂漠の音楽ファンを満足させた。翌日、観客を乗せた四駆は次々と会場をあとにする。その後に残されたさまざまな「ごみ」を見て、フェスティバルと観客が共に成長するにはまだまだ長い時間とかなりな「覚悟」が必要だと感じた。 
戻る